更新日:2024年6月13日

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第六天町会

結成日

昭和24年7月結成

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文京区町会連合会創立60周年記念誌「六十年のあゆみ」(2014年11月発行)掲載内容

地名の由来

第六天町会の地名は正徳3年(1713年)の昔、町内に第六天社(五穀豊穣の氏神さま)が祀られていたことに因むと言われています。第六天町会の氏神さまは服部坂上の小日向神社です。

第六天町の事例・活動

  • 明治27年6月生まれの吉田衛氏(ペンネーム・礫南散史氏)が書いた著書・礫南夜話が、第六天町町会の宝物として受け継がれ、保存されています。
    (1)地名の由来にはじまり (2)明治35年頃から明治末年まで (3)大正初期から戦災を受けるまで (4)町内こぼれ話 (5)町内に住まわれた名士等々歴史が項目別に詳細にわたり記述されています。
  • 第六天町は徳川幕府15代将軍「徳川慶喜」終焉の地です。戦火を免れた小日向第六天邸と敷地は戦後、国に物納され大蔵省(現・財務省)の官舎として使用され、平成19年に国際仏教学大学院大学が取得、徳川「最後の将軍」慶喜公が住まわれたイメージを取り入れたデザインにより歴史の流れを継承し、緑豊かな環境造りに沿った校舎が作られました。
    平成23年「大銀杏や地形などを生かした配置・デザイン等々により歴史の流行を現在に繋ぎながら潤いのある環境を創造している」との評価により[第10回文の京景観創造賞]を受賞しました。江戸幕府最後の将軍・慶喜公は、小石川水戸藩上屋敷(現・小石川後楽園)に生まれ、第六天町54番地(現・春日2丁目8番9号)で大正2年11月22日に没しました。平成25年は慶喜公没後100年の記念すべき年であり、第六天町会では文京区の企画に基づき数々のイベントを開催しました。平成26年3月文京区指定文化財(史跡)に指定されました。

画像:大イチョウ 画像:緑豊かな環境作りに沿った校舎

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