ホーム > 文化・観光・スポーツ > 観光 > おすすめ情報 > 自宅で楽しめる観光情報 > 文京トリビアのたまご ~文京トリビア検定に挑戦! > 文京トリビア~観光編答え~
更新日:2020年6月12日
ページID:3890
ここから本文です。
見頃は4月下旬前後(その年の気候によりかなり異なります。)、種類が非常に多く、開花時期が違うため、早咲きから遅咲きへと花が移り変わり、長い期間様々なツツジを楽しむことができます。
※根津神社ホームページより引用
乱歩は大正8年、本郷駒込林町六番地(現 千駄木五丁目)に、二人の弟と古本屋「三人書房」を開店しました。文京区は乱歩の小説の舞台としても登場しています。
C)は切通坂にある歌碑に書かれています。
「駒込は、一富士二鷹三茄子」という川柳には富士神社、鷹匠(たかじょう)屋敷とともに、この一帯で生産される駒込茄子がよみこまれています。
北野神社境内にある、なで石(自然石)は、源頼朝公が奥州へ東征の途中、此の地に休まれたとき、夢の中に牛に乗られた菅原道真公が現れ、願いが叶うことを告げられました。その後、ここにあった牛に似た石を御神体とされ、大宰府天満宮より御魂を勧請されたと伝えられており、これが撫で岩の発祥で牛天神の始まりです。(牛天神社と呼ばれていました。)
撫でると願いが叶うと言われており、今日まで多くの人々に信仰されております。
※牛天神北野神社ホームページより引用
麟祥院は、徳川家光の乳母として知られる春日局の菩提寺です。境内の奥に位置するお墓は、「死後も天下を見通すことができるように」という局の遺言に従って建立されたもので、墓石の四方と台石に穴が開いた珍しい形をしています。春日局像は、毎年10月に行われている春日局の法要、「春日忌」に合わせて、菩提寺である麟祥院前に昨年移設されました。
森鴎外の小説「鼠坂」の舞台「小日向から音羽へ降りる坂で、鼠でなくては上り下りできないという意味」と作中で描写されています。
この階段は、樹木のかげにあり薄暗く、段差も約十二~二十cmと低いため、よく数え間違いをしたようです。また、親が暗くなってから子どもたちをと遊びに行かせないために、お化けがでるといったのが由来という説もあります。
伝明寺の俗称である藤寺からつけられました。
国立代々木競技場や東京都庁舎を手掛けた丹下健三が設計したこの聖堂は、ステンレス・スチール張りの外装と内部に柱が一本もない作りがユニークです。また、日本最大のパイプオルガンがあることでも有名です。
文京シビックセンター25階展望ラウンジは、関東の冨士見百景やミシュラン・グリーンガイド・ジャパンにも選出されている無料の展望ラウンジです。ダイヤモンド富士のほか、夕暮れ時にオレンジに映し出される新宿の副都心と富士山はまさに絶景!また、東側には東京スカイツリー、北側には筑波山等、270°の大パノラマを一望できる人気のスポットです。
狸坂…千駄木3丁目12と20の間の坂。この坂上の千駄木山の一部が狸山といわれていたので、その狸山に上る坂なので狸坂と名づけられました。
蛙坂…小日向1丁目23と25の間の坂。音羽の谷から、七軒屋敷から、茗荷谷町の方へ下る坂です。
赤門は、加賀藩13代藩主前田斉泰が、文政10年(1827)に11代将軍徳川家斉の娘溶姫を正室に迎えるにあたり建立された朱塗りの門で、正式名称を「旧加賀屋敷御守殿門」といいます。
権現造りとは、本殿と拝殿を石の間によってつなぐ建築様式のことです。1706年に完成した、本殿・幣殿・拝殿・唐門・西門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し、国の重要文化財に指定されています。
小さな円墳があります。紫陽花祭りの期間中のみ、墳丘にあがれます。
1735年(享保20年)小石川薬園内(現在の小石川植物園)で試作されました。
父は当時中京地区の浄土真宗の寺の住職であり、植木は小僧となるため上京し、その後、旧制京北高校から東洋大学に学んでいました。
アカデミー推進部アカデミー推進課観光担当
〒112-8555 東京都文京区春日1丁目16番21号
文京シビックセンター17階北側
電話番号:
03-5803-1174
ファクス番号:03-5803-1369