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更新日:2021年3月12日
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徳川幕府最後の将軍 徳川慶喜(1837~1913)は、水戸徳川藩主斉昭(なりあき)の七男として、小石川の上屋敷(現在の小石川後楽園一帯)で生まれた。
一橋家の家督を継ぎ、慶応2年(1866)第15代将軍に就任。
翌年、大政を奉還したが、鳥羽伏見の戦とそれに続く江戸城開城の後、恭順(きょうじゅん)の意を表し、水戸にて謹慎の後、駿府(すんぷ)に隠棲(いんせい)した。
明治30年(1897)東京に戻り、同34年(1901)この地に移り住んだ。
慶喜は、のちに公爵、勲一等旭日大綬章を授けられ、大正2年(1913)11月22日、急性肺炎のためこの地で没した。
享年76歳。墓所は谷中霊園。
【所在地】文京区春日2-8-9[地図]
【交通のご案内】
※文京区コミュニティバス「Bーぐる(目白台・小日向ルート)」をご利用の場合、「5番:水道二丁目」が便利です。
現在の「徳川慶喜終焉の地」付近
(国際仏教学大学院大学)
慶喜邸時代からの大銀杏
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