更新日:2024年4月25日

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春日一丁目仲睦会

結成日

昭和28年4月結成

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文京区町会連合会創立60周年記念誌「六十年のあゆみ」(2014年11月発行)掲載内容

町名は、この町会通りの西側を住居表示変更以前「(小石川)仲町」といったところからきた。今の三中裏門部分、道路端から40m弱は仲町の土地である。体育館沿いも仲町であった。大塚にも仲町があったので、こちらには「小石川」をつける。

住居表示改正前、仲町通り東側は小石川町と表した。小石川町は後楽園に面する通りまで含まれたが、仲町通り沿いの住民の生活範囲は、そちらとは全く切れていて、こちら仲町なので、町会組織設立と共に、仲睦会となり、今に至る。即ち当町は、関東武蔵野台地が東に伸びた先端の一つ小石川台の突端に位置し、後楽園の地面とは相当の高低差があるところに存在する。高い土地にあるのだ。それがここまで小石川町と表したのは、考えるに、水道橋の角から仲町に接するここまで占めていた水戸屋敷が明治政府に没収されて以後、ここには砲兵工廠が造られ、分割されず一区画を保った。これを一つに表記して小石川町としたのではないか。お蔭で、ここ後楽園から遠地の高台に住む人々の住所も小石川町となった。

その砲兵工廠の裏門が、仲町通りに面して有ったという。今の第五方面本部の入口のところだ。それで人の出入りが激しく、仲町通り入口に公衆便所があるのはその所為である。この砲兵工廠に、明治37年?大暴発事故があった。そのとき、常泉院・西岸寺は、大勢の死傷者を収容し、救済したという。交通網の発展とともに輸送に便あるところに移動して、小倉に行ったと聞く。

何で「仲町」とついたか、水戸黄門さまが諸国行脚から還り、このあたりにまで着いたとき、ここは何処か、と問うに、中頃です、と応えたものがあって、仲町と付いた、こんな面白い(ひと口)話が古老によって語られてきた。そういうわけで、当町会は決して大きくないが、徳川御三家の水戸殿と縁故ある由緒正しい町会、として、これからも誇りを以て維持していく所存である。

画像:町会中央部から北側 画像:町会中央部から南側

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