文京ふるさと歴史館
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町並みの移り変わり−定点観測−

中山道(なかせんどう)周辺 「中山道分間延絵図」

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中山道分間延絵図(ぶんけんのぶえず)(駒込追分周辺)
中山道分間延絵図
江戸時代 独立行政法人東京国立博物館蔵

空から見た旧中山道周辺
空から見た旧中山道周辺
平成元年(1989)

 「中山道分間延絵図」は、寛政(かんせい)12年(1800)に幕府の命令によって作成された「五街道分間延絵図」全91巻の一部で、10巻からなります。縮尺は1800分の1。街道を管理する道中奉行(どうちゅうぶぎょう)の役人が実測し、街道周辺にあるものを詳しく記しました。
 「中山道分間延絵図」は、起点である日本橋からではなく、駒込追分周辺から書き始められています。駒込追分は、中山道の1里目に当たり、一里塚(いちりづか)が置かれていました。一里塚は、日本橋を起点として1里(約4キロメートル)ごとに設けられ、目印として榎(えのき)などの樹木が植えられました。しかし、駒込追分のものは明和3年(1766)に焼け、その後も再建されなかったため、この絵図には描かれていません。江戸時代、中山道周辺には広大な大名屋敷や旗本屋敷などが広がっていましたが、現在の航空写真を見ると、道路沿いにはすき間もないほどに建物が並び、景観の変化は一目瞭然(いちもくりょうぜん)です。
 
中山道分間延絵図
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空から見た旧中山道周辺
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