文京ふるさと歴史館
文の京の歴史・文化ガイド
町並みの移り変わり−定点観測−

中山道(なかせんどう)周辺

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江戸高名会亭尽(こうめいかいていづくし) 白山傾城(けいせい)か窪(くぼ)
江戸名所四十八景

歌川広景画 安政6年(1859)

 文京区域には、江戸時代の五街道のひとつ中山道(日本橋〜京都)が通っていました。中山道は日本橋から日光御成道(おなりみち)と道を共有し、1里目の駒込追分で西に折れ、白山を通って巣鴨に抜けました。日光御成道はまっすぐ進み、赤羽・川口などを経て、日光に通じていました。中山道沿いの古河(こが)藩下屋敷辺り(現在の東洋大学の西側)は鶏声(けいせい)が窪(くぼ)(傾城か窪)と呼ばれていました。これは、藩邸内から夜ごと鶏の声が聞こえたため、地面を掘ったところ、金銀の鶏が現れたという故事に基づいて名付けられた地名です。広重が描いた錦絵によって、この辺りがにぎわっていた様子がよくわかります。


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