文京ふるさと歴史館
文の京の歴史・文化ガイド
町並みの移り変わり−定点観測−

根津界隈 「根津遊廓」

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東京根津大松葉楼 娼妓幼太夫肖像
東京根津大松葉楼 娼妓幼太夫肖像
東京根津大松葉楼
娼妓幼太夫肖像

(しょうぎおさなだゆう)
明治17年(1884)
根津花屋敷大松葉楼全盛揃之図
根津花屋敷大松葉楼
全盛揃之図

明治18年(1885)頃
根津八幡楼盛大図
根津八幡楼盛大図
明治時代

 根津神社が移ってきてから、門前を中心に根津界隈はにぎわいを見せるようになりました。そして飲食店が増えると共に、遊廓(ゆうかく)もできました。しかし、他の遊廓と同じく、幕府からたびたび規制を受け、天保(てんぽう)の改革により根津遊廓は新吉原(台東区)へ移されました。これが復活したのは明治2年(1869)のことです。翌年には門前に200本もの桜を植え、そこに雪洞(ぼんぼり)を灯すなど、様々な工夫をほどこしました。その結果、明治12年(1879)には妓楼(ぎろう:遊女屋)90軒、遊女574人を数えるまでに発展し、大八幡楼や大松葉楼などはひときわ大きな店を構えました。ところが、同年、隣の本郷に東京大学ができたことにより、風紀上好ましくないとの理由で、遊廓移転の議論が起こり、結局根津遊廓は洲崎(すざき)(江東区)に移転することになったのです。


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