近代の文京(明治から昭和)

更新日 2023年11月30日
明治11年、郡区町村編成法によって、東京府も大区小区制を廃止して、15区6郡を置きました。
ここに文京区の前身、小石川・本郷両区が誕生しました。当時の小石川区の人口は、2万6,000人、本郷区は、3万8,000人と15区の中でも人口の少ない地域でした。
近代国家建設のために、明治政府は教育に力を入れました。多くの官立、私立学校が区内に設立され、学校の転入も相次ぎました。
これとともに、逍遙、鴎外、漱石、一葉など、多くの文人が住み、この地を舞台に数々の名作を著し、文教の地としての厚みを一層増したといえます。
日露戦争を経て第一次世界大戦を迎えると、日本の経済は著しい発展を遂げ、東京15区を中心に人口が急増し続けました。小石川、本郷区ともに、人口の増加は急激となりました。
また、印刷、製本業、医療機器製造業の密集地域ともなり、地場産業として発展しました。
東京大学のある本郷を中心に、明治末から旅館や下宿屋が軒を並べ、昭和3年には旅館の数は120軒を数えました。
戦後、下宿業から旅館業へと姿を変え、地方からの修学旅行生を多く受け入れた施設もありました。また、地方別県別などの学生寮も多くなりました。
昭和12年、東京砲兵工廠の跡地に、3万人を収容する後楽園スタヂアムが大野球場として誕生しました。戦時中には、球場内に野菜畑、高射砲陣地が設けられました。
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