■開館時間 |
午前10時〜午後5時 |
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■休館日 |
月曜日 |
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■入館料 |
一般300円・団体(20人以上)210円 中学生以下・65歳以上は無料 ※11月3日(水・祝)は無料公開日 |

花柳章太郎(はなやぎしょうたろう 1894−1965)、は明治末から昭和にかけて活躍した新派俳優です。女形としての芸を追及する一方で、男役や老け役もこなし、数多くの名舞台をつとめました。 花柳章太郎は、本業の舞台を極めるだけでなく、絵画、工芸、文筆など、さまざまな芸術に秀でたことでも知られています。こうした活動を通じて、演劇関係者はもちろん、画家、工芸家、文学者など、幅広い交友関係を築きました。 また花柳章太郎は、文京にゆかり深い人物でもあります。幼少期から壮年期まで暮らした湯島は花柳章太郎にとって「懐かしい故郷」でした。 平成16年及び21年、関係者を通じて文京区に、花柳章太郎の関係資料、遺品類が寄贈されました。5,000点を超える膨大な資料の整理が一段落したのを機に、本展を開催することにいたしました。花柳章太郎の演劇にかけた人生と芸術活動、幅広い交友関係、そして文京とのゆかりについて、関連資料を通じて紹介し、没後45年を経た名優の足跡について改めて振り返る機会といたします。 |
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![]() 花柳章太郎/昭和39年(館蔵) |
展示概要![]() |
1 |
生−生い立ちとその生涯− |
![]() ![]() 煙草入れ(館蔵) |
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花柳章太郎。稀代の名優にして、不世出の女形。 明治27年にこの世に生を受けてから、昭和40年にその生涯を終えるまで、その人生は、まさに芸に生き、舞台に散った、波乱に富んだ70年でした。 花柳章太郎の素顔の写真と、生前愛した数多くの品々がのこされています。これらの写真と遺品からは、努力家、凝り性、好奇心旺盛、お洒落、明朗、社交的、義理堅い、人懐こい、純粋、行動的…、そんな花柳章太郎の性格の一端を垣間見ることができます。 −展示構成− ●生い立ちから入門まで ●素顔の花柳章太郎遺品 ●愛用品の数々 |

2 |
演−新派俳優として− |
![]() ![]() 「婦系図」お蔦(館蔵) 「歌行灯」の 恩地喜多八(館蔵) ![]() 舞台衣裳「雪手前」白妙の打掛 (美枝きもの資料館蔵) |
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花柳章太郎は入門後、師匠・喜多村緑郎の下で修行を積みながら、徐々に世間に認められるようになり、人気俳優に成長していきます。大正末から昭和戦前期には、新派のみならず、新劇や映画の世界にも挑戦しました。
そして独立劇団「新生新派」を俳優・作家仲間と興し、戦時中も活動を続けました。戦後も引き続き舞台を支える共演の俳優や作者に恵まれ、新派を代表する役者として活躍しました。芸域は広く、女形の芸を追及する一方で、立役(男役)や老け役でも名演技を披露しました。 こうして数々の名舞台をつとめた花柳章太郎は、晩年には 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、文化功労者として顕彰されるまでになりました。 −展示構成− ●入門そして修行 ●転機 「日本橋」の初演 ●新派の凋落と新たなる挑戦 ●新生新派 ●戦後の新派 ●晩年 舞台に散る |

3 |
芸−多彩なる芸術の世界− |
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花柳章太郎は、忙しい俳優業の傍らで、人形、絵画、陶芸、染色、七宝焼、ガラス絵など、さまざまな他の芸術にも傾倒しました。しかも、そのいずれもが玄人はだしで、余芸というには余りある才能を発揮し、膨大な量の作品をのこしています。天性の才に加え、その道の一流の人から指導を受け、技術を習得する努力家でもありました。百貨店などでの個展、作品展も数多く開かれました。 そして、これらの芸術は単なる趣味の域にとどまることなく、さまざまな表現から美や色彩を探究していくことが、すべて本業である舞台の芸を極めるための糧となっていたのでした。 −展示構成− ●人形(土偶) ●絵画・スケッチ ●染色 ●陶芸・ガラス絵・七宝焼 |

4 |
記−膨大な記録類− |
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花柳章太郎は、文章を書くことにも長けていました。その文才、そして猛烈な記録魔ぶりは、膨大な量のメモ帳・手帳類、いたずら帖などの冊子類などから見て取ることができます。 また自筆の原稿・句稿も大量にのこっています。雑誌や新聞のために執筆された随筆や小説など、あるいは未完のまま書き捨てられた原稿用紙もたくさんあります。 そして、花柳章太郎の著書は、随筆、小説、句集など、生前発行されたものだけでも13冊に及びます。自分の生い立ちや俳優としての仕事、交友関係や趣味のことなどが記され、雑誌・新聞連載が1冊にまとまった本もあります。いずれの本も、花柳章太郎自身や著名人による美しい装丁が特徴となっています。 −展示構成− ●メモ帳・手帳・いたずら帖 ●原稿・句稿 ●著書 |

5 |
友−幅広い交友関係− |
![]() 楽屋の花柳章太郎/木村荘八・画(館蔵) ![]() 花柳章太郎・久保田万太郎(館蔵) |
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花柳章太郎は、本業である演劇活動、趣味や芸術活動などを通じて、さまざまな人々と出会い、幅広い交友関係を築きました。同じ舞台に立った俳優、舞台を支えた劇作家、演出家、舞台美術家、評論家などの演劇関係者のみならず、文学者、画家、工芸家、映画関係者、舞踊家、茶道家、商人、花柳界の人々、政治家まで、あらゆる人と交流し、友情を育みました。 また句楽会、さんぞく会などに参加したことも、多くの人との交友を拡げる機会となっていました。 こうした交友は、花柳章太郎の社交的で人懐こく、義理堅い人柄が生み出した財産であり、このような人間関係に支えられた人生だったといえるでしょう。 −展示構成− ●喜多村緑郎、水谷八重子、木村荘八、伊東深水 久保田万太郎、川口松太郎、北條秀司 |

6 |
縁−文京とのゆかり− |
![]() 女坂を登る花柳章太郎(館蔵) ![]() 挿絵原画「湯島の境内」/花柳章太郎・画(館蔵) |
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花柳章太郎は、文京にゆかり深い人物です。 8歳から29歳までの、幼少期から青年期を湯島に暮らし、学校に通い、俳優となってからは、春木町にあった本郷座に数多く出演しました。そして湯島を離れた後も、この地を何度も訪れています。
湯島天満宮は花柳章太郎自身の思い出の地であると同時に、「湯島詣」や「婦系図」など、新派にゆかり深い演劇作品の舞台でもあります。これらの芝居や、森鴎外、樋口一葉など、文京ゆかりの文学者の作品、文京の地を舞台にした演劇に出演したことも、花柳章太郎と文京とのつながりといえるでしょう。 −展示構成− ●揺籃の地・湯島 ●花柳章太郎と本郷座 ●湯島天満宮 ●花柳章太郎の歩いた文京 ●湯島小学校 最後の講演 |

付帯事業![]() |
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花柳章太郎主演映画の上映と、花柳章太郎の遺品整理に関わった林靖治氏から思い出話などを |

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